トランスジェンダーの息子と歩む

子どもからカミングアウトされたとき、親は…

カミングアウトの日【第四章】

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あの日、娘はLINEでカミングアウトして来た。

やはり直接には言いづらかったのかもしれない。

 

娘の部屋と私のいる寝室は廊下を挟んで向かい合っていた。扉を開ければ、すぐに対峙できる状況であったが、あえて向き合うことはしなかった。

 

まるで誰も存在しないかのような物音ひとつしない娘の部屋から、私のスマホの表面にだけ言葉が滑り込んで来た。

 

「俺は性同一性障害だと思う」

「母ちゃんは俺のこと女だと思ってる?」

「俺は男になりたい」

「ホルモン注射を打って、胸もなくしたい」

「将来的には戸籍も変えたいと思ってる」

 

夜中の午前0時を過ぎた頃だった。

衝撃の告白だった。

頭の中がぐらりと揺れて真っ白になった。

-ちょっと待って。どういうこと?

思考がうまく回らない。

スマホの画面の文字を凝視したまま、身体が固まってしまった。

信じられない告白に、心も身体も思考も全てが凍りついた。

 

スマホの画面の上で指が動かない。

きっと勇気を振り絞って送って来たに違いないこのメッセージに、なにか返事を返さなくては。

でも、私の胸の鼓動はどんどん激しくなり、人差し指が細かく震え続けるだけだった。

 

そして、私はあの「ふたつの感情」に襲われ、頭の中がひどく混乱した。

   〈詳しくは『ふたつの感情 【第一章】』〉

 

--なんと返そう…

時間だけが静かに過ぎていく。

扉の向こうに、スマホを見つめたまま、返信を待ち続けている娘の姿が透けて見えるよう気がした。

「了解」という返事もおかしいだろう。

実際そんな簡単に受け入れられる話ではない。

 

でも、ほんのちょっとでも否定したら、あの子の自尊心を傷つけることになるのではないか。

 

--なんと返そう、なんと言えばいい?

 

否定も肯定もしないで、それでいて本人を傷つけない言葉はなんだろう。

 

何分間も既読スルーの状態が続いた。

娘にとっては長い待ち時間だったのではないだろうか。

 

私は大きく深呼吸をして、震える指先で、

「私はあなたの生き方を尊重するつもりだよ」

と打った。

 

いつもならスムーズなフリック入力が、この時は信じられないほどのスローモーションでしか指が動かせなかった。

一文字ずつ、一文字ずつ。

この一行を打つのに相当な時間がかかった。

 

でも、私なりに選び抜いた一言だった。

 

大混乱をきたしていた私だったが、それでも、娘の味方であることだけは伝えたかった。

 

「男になりたい」という娘の思いはわかったが、その後に続いた「ホルモン注射」という文字も、「戸籍を変える」という文字も、私にはほとんど意味がわからなかった。

 

-- 性同一性障害

 

メディアで取り上げられることも多くなっていたので、私もこの言葉は知ってはいたが、それは雑誌やTVなどのモニターの向こうの話であり、自分に直接降りかかってくることを想像したことはなかった。

 

これまで綴ってきた『子育てで感じた違和感』は、このカミングアウトを受けたからこその「気づき」だ。

 

あのように書き記してみると、性同一性障害を裏付ける事象はたくさんあったわけだが、当時の私はそれらの数々を、娘の「個性」として受け止めていた。

私は基本的に子どもの意見を尊重する育て方をしてきた。

特に、趣味嗜好の部分については、それこそ本人の自由だと思っている。

 

でも、「あなたの生き方を尊重する」と返したということは、男になることを認めるということになるのか⁉︎

それはちょっと待った!!

 

どうしよう?

これは大変なことになった…

親として、私はどうしたらいい?

 

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子育てで感じた違和感【第三章】⑦

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〈その7〉娘の思い

娘が高校生だったある日、家族で旅行に行った先で急に生理になってしまい、宿泊先の寝具を汚してしまったことがあった。

そのとき、あの子は自分のスマホをベッドに投げつけて、

「オレは好きで生理なんかになってるんじゃねー!」

と叫んで涙を流した。

立ち尽くして俯いたまま肩を震わせて泣いているその姿は、なんとも哀れで、思わず抱きしめずにはいられなかった。


この子が女性であることをこれほどまでも受け入れられずにいる姿を目の当たりにし、私もどうしていいかわからなくなった。

 

これまでも女の子なんだから生理の記録をつけるようにと促したことがあったが、娘はまったく聞く耳を持たなかった。

 

生理の話は殊に無視された。

 

いま覚えば、女性の象徴とも言うべき「生理」は娘にとってなによりも辛く、忌み嫌うものだったのだと思う。

-- そう、これが、

あの日、私がカミングアウトを受けた時に、心に起こったもやもやの正体のひとつ。

   〈詳しくは『ふたつの感情 【第一章】』〉

 

〜 以上、これが私の子育てのなかで感じた違和感の数々だ。

 (『子育てで感じた違和感『第三章』①〜⑦)

 

私はこれまでの子育てのなかで、これほども子どもの性別に違和感を感じていながら、具体的に突き詰めることもせずにやり過ごして来てしまっていたのだ。


いま思うと、そのことに言及することがタブーのような空気があったようにも思う。


だから、私はそのことに触れないようにして、ここまで来たのかもしれない。

 

そんな思いがあったから、あの告白の日、これらの事象がもやもやした感情となって、私を襲って来たのだ。

 

 

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子育てで感じた違和感【第三章】⑥

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〈その6〉中学校生活
娘は中学校に入ると「強くなりたいから」と剣道部に入部した。

髪を思い切り短くし、完全ショートヘア姿になった娘はますます男子っぽくなった。

髪を切るときには美容室ではなく、理容室に行き、「何ミリ」という単位でバリカンで髪を刈り上げるようになった。

学校内で一番厳しい部活に所属した娘は、毎日欠かさず1500本の素振りをし、やがて筋肉がつき、腹筋も割れてきた。

それまでは服装に頓着がなかったため、洋服は私が買って来ることが多かったが、やがて、レディースの服は嫌がるようになり、メンズ物だけを受け取るようになった。

でも、厳しい部活のおかげで、ほとんど毎日、朝から晩まで体育着(男女兼用)で暮らしていたため、洋服の違和感をそれほど感じることはなかった。

娘は私に似て運動が苦手だったが、それは剣道部に入っても変わらず、周りと比べると、体力もセンスもみんなに追いついていなかった。

しかし、人一倍努力して、その精神力だけで剣道部に喰らい付いていった。

どんなに体調が悪くても、どこにいても、毎日、竹刀を振り続けた。

その姿はあまりにストイックで逞しく、実に男らしかったと思う。

娘が後輩の男子たちに指導しているその姿など、どう見ても男子の先輩から後輩たちへ指導している姿にしか見えなかった。
学校での成績も上位で、文武両道で頑張る我が子を私は誇らしく思っていた。

男らしい態度はちょっとカッコいいくらいだった。

本人も後輩たちからカッコいいと言われると満更でもなさそうだった。

休みの日に私と買い物に出かけると、髪を短くし、メンズ一色に包まれた娘を見て、

「今日はご子息様のものをお買い求めですか?」

「息子さんはこちらへ」

とか、よく男の子に間違えられた。

制服を作りに行ったときなど、何の疑いもなく、学ランの並ぶ男子の制服コーナーに案内されてしまったこともあった。

 

百人が百人、当時の娘のことを男の子に間違えた。そして、そのことを本人は嬉しく思っているように見えた。

私もいつしか、相手が性別の間違いに気付いて慌てる姿が申し訳なくなり、「いいえ、娘なんです」と訂正するのをやめてしまっていた。

 

-- そう、これが、

あの日、私がカミングアウトを受けた時に、心に起こったもやもやの正体のひとつ。

           〈詳しくは『ふたつの感情 【第一章】』〉

 

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子育てで感じた違和感【第三章】⑤

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〈その5〉暮らしの様子

娘が小学生の頃は、近所の友達といつも忍者ごっこで盛り上がっていた。

折り紙で手裏剣を何十個も作り、刀を腰に差し、庭中を駆け回っていた。

幼稚園の制靴が草履だったせいで、すっかりその履きやすさが気に入った娘は、その後、高校生まで、普段履きはいつも草履だった。

娘はマリオやマリオカート等のゲームも好きで、テレビゲームやDSでもよく遊んでいた。

でも、当時、女の子たちの間で大ブームになっていた「どうぶつの森」や「ともだちコレクション」なるゲームには全く興味を示さなかった。

ジャニーズなんかのカッコいい芸能人やアイドルにも全く無関心だった。


思春期の女子たちがお洒落に目覚める頃、ウチの子は髪の毛をとかすこともせず、洗顔はパパの「メンズビオレ(あぶらごっそりタイプ)」を使い、シャンプーも男モノのスカルプシャンプー(これもパパのもの)を使っていた。

お洒落にまったく興味のない娘を見かねた周りの女子たちは、休み時間になると、寝癖のついた娘の髪の毛をブラッシングしてくれていたらしい💧

友だちとショッピングに出掛けても、周りの女子たちが可愛い小物などのお店に入ると、ウチの子は店の外で時間を潰していたそうだ。


本当に娘はオシャレには全く興味がなかった。

(後に娘は、洗面所を占領して鏡の前から離れないほどの典型的なオシャレ男子に変貌するが、それはまた後で話すことにする)

 

 

-- そう、これが、

あの日、カミングアウトを受けた日のモヤモヤの正体のひとつ。

                                     ※ふたつの感情【第一章】

 

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子育てで感じた違和感【第三章】④

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〈その4〉学用品

小学校のときには、よく学年ごとに集団購入させられる学用品というものがあった。

チラシが配られて、その中から好きなデザインのものを選んで注文する。

習字道具セット、彫刻刀セット、裁縫セット、手作りエプロンキットなどなど。


そんなとき、娘はいつも男の子用のチラシから選んでいた。

 

そこに違和感を感じなくはなかったけれど、はっきり言って、女の子用のキラキラしたラメやピンクが散りばめられた派手なデザインと違って、娘の選んでくるメンズシリーズは、シャチの柄だったり、スポーツメーカーのロゴだったり、単純な幾何学模様だったり、シンプルかつスッキリしたデザインのものが多く、私にもむしろそっちの方がいいと思えてしまい、娘の希望をそのまま受け入れていた。

 

普段使いの私物の学用品も、

缶ペンケースはNIKE

中身の筆記用具は、何の変哲もないuniの鉛筆とMONOの消しゴム。

下敷きは無色透明。

手提げ袋は無地のデニム。

水着の大判タオルはadidas

 

いま思えば、小学生の持ち物にしては、あまりに味気なく、シンプルすぎるものばかりだった。

 

まわりの子供たちは、みんな可愛いキャラクターもののデザインを選ぶなか、娘は、いつもそういった女の子っぽいデザインを避けていた。

 

私は、この子は大人っぽいデザインが好きなのだと思っていた。

 

 

-- そう、これが、

あの日、私がカミングアウトを受けた時に、心に起こったもやもやの正体のひとつ。

           〈詳しくは『 ふたつの感情【第一章】』〉

 

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子育てで感じた違和感【第三章】③

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〈その3〉言葉づかい
娘は、小学5年生の頃から、言葉遣いが変わった。

自分のことを「オレ」と呼ぶようになった。


私の呼び方まで「ママ」から「母ちゃん」に変えられてしまった。

もちろん「パパ」も「父ちゃん」だ。

 

スーパーで買い物をしていると、遠くから「かあちゃーん、かあちゃーん」と聴こえてくる。
周りのお母様方がクスクスしている(ような気がする💧)

「私は『ママ』ですから」という顔で買い物を続けていたけれど、近づく我が子。

そう、私は「かあちゃん」になったのだった。

 

『ママ』が封印されてしまってから10年。

かあちゃん』の言葉が聴こえると条件反射で振り向ける実力がついた。

でも、私はいまだ自分自身の第一人称は『ママ』である。小さな抵抗を続けている(^^;;

 

暮らしの中の言葉づかいも気になってきた。

「母ちゃん、飯まだ?」

「腹減った〜」

「うめ〜」

「帰ろうぜ」

などなど。

 

今の時代は「女の子なのに」とか「男の子だから」などどいう表現は憚れる世の中だが、当時、女の子らしからぬ言葉づかいに、私は相当困っていた。

 

でも、なんというか、娘は、あえてそういう言葉を無理して使おうとしているように思えた。

自ら、自分自身を変えようとしているような姿に見えた。

 

でも、それがどういう意味なのか、そのときの私は考えたことがなかった。

 

 

-- そう、これが、

あの日、私がカミングアウトを受けた時に、心に起こったもやもやの正体のひとつ。

           〈詳しくは『 ふたつの感情【第一章】』〉

 

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子育てで感じた違和感【第三章】②

〈その2〉キャミソール

娘は女性用下着というモノをこれまで一度も身に着けたことがない。

 

第一次性徴期、第二次性徴期、胸も膨らみ始めるかなという頃、

「そろそろブラジャーとかどうかな」

と提案したが、聴こえない振りに終わった。

 

小学5年生の林間学校のときも、

小学6年生の修学旅行のときも、

「みんなも着けてるから、そろそろ着けてみない?」

との私の提案に「イヤだ」の一蹴だった。
 

中学校の修学旅行では、

もうさすがに着けさせなくてはと思い、

「ブラジャーが嫌なら、せめてスポーツブラとかどうかな?」

と提案したが、

「絶対に着けたくない!」と猛反撃。

 

中学校2年生のとき、

学校で行われた修学旅行の説明会で、

持ち物リストを見ながら、娘が、

「キャミソールってなに?」と質問して、

周りの女友だちが皆ドン引きしたという出来事があった。

 

ブラジャーもキャミソールも彼女の辞書には存在しない。

 

結果、娘は未だ、

人生で一度も女性用の下着を着けたことがない。

 

後に知ったことだが、

当時、娘が本当に身に着けたかったものは、

ブラジャーでも、キャミソールでもなく、

サラシ」だった。

 

 

-- そう、これが、

あの日、私がカミングアウトを受けた時に、心に起こったもやもやの正体のひとつ。

          〈詳しくは『ふたつの感情【第一章】』〉

 

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