息子の覚悟【第十六章】
私は息子が抱いている複雑な思いを知らなかった。
見直さなければならない問題点のある法律だが、性別適合手術を受ければ、戸籍の変更はできることになっている。(詳しくは『信じがたい条件【第十四章』)
そうすれば息子は男性として生きていける。
息子はもうどんな手続きにおいても、自分が男なのか女なのか悩まなくて済む。
どんな書類にも堂々と性別欄の「男」に丸をつけることができる。
保険証にも「裏面記載」などとまわりくどいことは書かれずに、おもて面に「男」と記載される。
これで息子は晴れて男性として堂々と生きていける。私はそう思っていた。
しかし、息子の心情を聞いてみると、そんな単純なものではなかった。
ネットで調べてみると、性別適合手術を受けてから、そのことを後悔する人たちが少なからず存在することを知った。
親にとって、それはもう恐怖でしかなかった。
ホルモン治療なら、ホルモンの投与をやめれば、身体を元の状態へある程度は戻すことができるだろう。
でも、一度身体にメスを入れてしまったら、もう二度と元に戻すことはできない。
それでも手術をしていいのか?
性別適合手術を受けて、戸籍を変更してから後に命を絶つ人も相当数いることを知り、私は怖くなった。
息子の明るい未来のためにこの手術があるのだと信じていたのに-。
私は親としてこの手術に同意していいものか、本当にわからなくなった。
でも、息子の手術を受けたい意志は変わらない。
親から見ても、息子が男性であることに間違いはないと思う。その点においておそらく手術を後悔することはないだろう。
そして、念願の戸籍変更も叶う。
でも、息子は、この戸籍の変更こそが、実は何よりも覚悟のいるものだと語った。
戸籍の変更をすれば、これで息子は法律上も「男性」となる。
もちろん、それを望んでの手術なのだが、この手術をしても本当の男性の身体を手に入れられるわけではない。
女性の生殖機能をなくしても、男性の生殖機能を手に入れられるわけではないからだ。
息子はその不完全な状態で「男性」を名乗ることになるのだと。
自分は男であって男でないのだと。
戸籍を変えて正式に男性になることで、男の枠に入れられるからこそ、その現実を突きつけられることになるのだと言った。
たとえば、男湯に入ることを想像してみた。
自分の性別は男性だから、当然「男湯」に入るが、そこは、心と身体が一致して男性として生まれた人たちの集まりだ。
自分にはないものがみんなにはあり、自分にはそれがない。
そのことをあからさまに見せつけられることになる。
男社会に入るということは、常にそういう状態に晒されることなのだと感じた。
かといって、このまま女性の戸籍でいることはもっと辛かった。
自分が男性として暮らしていること自体が、周囲に対して常に嘘をついているような気がしてしまうのだ。
社会の中でも、戸籍の上でも偽りのない「男性」でありたいと息子は願っていた。
だから、手術をして戸籍を変えたいのだと。
でも、戸籍さえ変えれば、明るい未来が待っているというわけではなかった。
手術を受けて戸籍を変えることで、晴れて男になれる、女になれると信じていた人たちは、結果、何も変わらない現実、いや、これまで以上に周りとの差に苦しむ現実に失望し、精神が追い込まれることになるやもしれなかった。
性別適合手術をすれば男になれる。
戸籍を変えれば男になれる。
そんな単純なものではなかった。
現実は、男性という枠の中に入ってからの劣等感との闘いだ。
この覚悟をしてからでないと、手術をしてはならないと思った。
性同一性障害という心と身体の不一致において、それを解消するために、心に身体を合わせるのなら、手術して現在の生殖腺を取り去るしかない。
でも、そうしたところで、なりたいと望む性のなかでは、あるべきものがないという状態に変わりはない。
そのことを嘆き悲しむのであれば手術に踏み切ってはならない。
それを覚悟した上で手術をしなくてはならない。
そう思った。
私は息子に伝えたい。
自分の望む正しい性別にするために、自分の身体の臓器を一部失うことになるけれど、これが自分が自分らしく生きられる唯一の方法だったのだと、どうか揺るがぬ気持ちでいてほしい。
手術をすることで、女性でも男性でもどちらでもない身体になってしまったとは捉えてほしくない。
手術をすることで、性同一性障害という心と身体が不一致だった器官は取り除かれるのだ。
現代の医学では、心と一致する完璧な身体の器官を付け足すことはまだできないけれど、「引き算」をしたことで、あなたはもう心と身体は不一致ではない。
だから、安心して心の訴える性別を唱えていい。
胸を張って「男性」だと言っていい。
ただ、事情があって生殖機能は取り除かれている男性なのだと。
息子は、私には考えも及ばなかったこんな自問自答を何度も何度も繰り返し、そして、覚悟を決めていたのだとわかった。
私は息子の手術に同意した。
私にできることは、息子を見守り、手術の成功を祈るのみだ。
そして、息子の手術の日どりが決まった。
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