二つの選択【第十七章】
息子は無事に性別適合手術を終えて、タイから帰国した。
息子が入院していた病院では、一日に3回、性別適合手術が行われており、息子のオペ日も、その次の日も、またその次の日も、毎日毎日、オペの予約でぎっしりと埋まっていた。
そして、そのオペの対象者は、私が見る限り、息子と同じくらいの年齢の日本人ばかりであることに私は驚いた。
みな、日本を出てタイで手術を受けているのだ。
こんなにも大勢の日本人が性別適合手術を受けているとは!!
それは、日本でこの15年間に1万人もの人々が戸籍の性別変更を行っているという事実を裏付けていると感じた。
息子と同様、自分の身体から望まぬ性の象徴たる臓器を抜き去った者たちは、みな晴れ晴れとした表情だった。
そこに迷いはなく、やっとここまで来れたという安堵と喜びに満ちていた。
帰国後、息子は手術証明書等一式を携えて、裁判所へ性別変更の申立ての申請を行った。
生殖腺の除去を性別変更の条件としている日本においては、この証明書がなければ戸籍の性別変更は許されないのである。
はじめてカミングアウトを受けた日から、実に5年という月日が過ぎていた。
苦しい日々も多々あったが、今となっては、私も我が子を息子としか思っていないし、これで戸籍も修正されれば、家族だけでなく、対外的にも名実ともに男性となる。
ようやくここまで来た。
申請から一ヶ月ほどして、裁判所から性別の変更を認める審判が下った。
続いて、戸籍、住民票、健康保険証、マイナンバーカード等の変更手続きが行われ、息子の性別欄は全て「男」になった。
我が家には長女と長男がいたわけだが、これにより戸籍の「長女」は「長男」に改められた。
弟の続柄は変更されないため、我が家は「長男」が二人いるという特殊な戸籍となった。
性別適合手術を終えてから4ヶ月後、息子は日本で胸の手術を受けた。
タイのオペで乳腺を取り去り、すでに胸は平らになっていたのだが、今度は美容整形の技術で、乳首を男性と同じ大きさにするための縮小手術を受けたのだ。
これで人前で上半身裸になったとしても、周りの男性たちとほぼ変わらない姿となった。
これからは友人たちと海水浴やプールにも行けるだろうし、銭湯はまだ課題が少し残るかもしれないが、今後の活動範囲は広がることだろう。
だが、オペを終えても、男性ホルモンを生み出す臓器は持ち合わせていないため、これまで通り、男性ホルモンの投与は隔週で続けていかなければならない。
しかし、性別が男性になったことで、保険が適用されることになったのには驚いた。
女性に対して男性ホルモンを投与するのではなく、男性に対して男性ホルモンを投与するわけだから、必要な治療とみなされるらしい。
本来は手術の有無に拘らずホルモン治療は保険適用であるべきと思うと、少々複雑な心境ではあったが、ホルモン治療は一生続くことなので、経済的にはありがたい話だった。
こうして戸籍上も男性となった息子は、正真正銘の男性として社会に出る準備が整った。
そして、彼はこれからの生き方を考える。
選択肢は二つ。
一つは、自分が元女子であることを伝えた上で男性として生きる。
もう一つは、過去のことは伏せたまま、はじめから男性であったように生きる。
身長や手足の大きさはどうしても女子の時のままだが、そうした体格を除けば、顔つきも声色もすっかり男性だ。声の低さはまるで中尾彬のようである(笑)。
もうどこからどう見ても男性にしか見えない。
そして、戸籍も男性となった今、あえて自分が元女子であったことを周りに伝える必要があるのだろうか?
もちろん、隠すことではない。
LGBTについては、今後、子供たちの教科書にも載せて教育を行っていくことになったほど、世間ではその存在は当たり前になりつつあり、もう差別している側の方が逆に非難を浴びるような世の中になってきた。
息子からカミングアウトを受けた5年前より、更に現在の方がまた一段と世の中の理解は進んでいると思う。
こんな今だからこそ、堂々と元女子であったことをあからさまにしてもいいのではないか。
後に続く同じ境遇の者たちのためにも、そういった道を切り開いていくべきではないか。
いつか周りに知られてしまうのであれば、自分の口からきちんと伝えたい。でも、最後まで知られずに済むのであれば、このまま伝えずにいたい。
これが正直な思いのようだ。
性別を選択する時にはなんの迷いも見せなかった息子だったが、これからの生き方を決めるこの二つの選択にはいくらかの迷いが生じているようだった。
やがて就職活動の時期を迎え、彼は就職活動においては、自分がトランスジェンダーであることを正直に告げることを決意した。
全てを知ってもらった上で、それでも採用してくれる会社に就職したいと考えたようだった。
はたして社会は彼をどう受け止めるのか。
私は遠くから見守っていたが、息子が受けた会社のなかで、トランスジェンダーであることを理由に息子を拒む会社は一社もなかった。
そして、最終的に息子が就職を決めた会社は、彼に対しての配慮と思いやりに溢れており、こんなにもあたたかい職場があるのかと私は驚いた。
時代が変わったとかそういう問題ではなく、そもそも我々人間にはそういった相手を思いやる気持ちが備わっており、出会いや人との繋がりを大切にできる生き物だったことを思い出させてくれた。
この社会は捨てたものではない。改めてそう思った。
就職先が決まると、息子はまたあの二つの選択肢と向き合うことになった。
就職活動の流れから人事部は息子の事情を知っているが、そのことを他の社員にも周知して働くか、事情を伏せて働くか。
彼の選んだ答えは、また私に新たな気づきをもたらすものだった。(つづく)
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