トランスジェンダーの息子と歩む

子どもからカミングアウトされたとき、親は…

埋没【第十八章】


☆【第十七章】より続く

元女子であることを伝えたうえで男性として生きるか、過去を隠して男性として生きるか。
この二つの選択肢を息子はどう選ぶのかー。

私自身としては「あなたのすぐそばにもトランスジェンダーの人がいる」ということを、みんなにも知ってほしい。
決して、メディアの中だけのことではなく、すぐ近くにも存在しているのだということに気づいてほしい。
そうすることで、トランスジェンダーの存在は特別のことではなく当たり前のことになっていくのだと思う。
だから、隠さず周りにカミングアウトして、その上で堂々と暮らしていけるのが理想だと思う。
差別と偏見のない社会。
そんな社会が生まれつつある。
きっと周りも理解してくれるはず。

やはり、カミングアウトするか。

でも、息子は踏みとどまった。

それはかつて彼が元女子であることを告げた後に生じた空気のことを思い出したからだと言う。
誰ひとり息子のことを否定したりはしなかったが、彼と周りの人間との間にはこれまでに感じたことのない変な空気が生まれたのだと言う。
それは彼に対する過剰な気遣いと遠慮だった。
人は優しいからこそ、息子の過去を知ると、悪い意味ではなく、それを無視することができなくなる。
周りは彼が元女子であることをどうしても意識してしまうのだ。

ここからは、私の想像の世界だが、たとえば、男性だけの集まりともなれば、下ネタや卑猥な話の一つや二つ出るのが当然だと思うが、もし、その場に元女子がいるとなると、どうだろうか。
そういう話はしづらくなるのではないだろうか。
でも、それは元女子という特殊な立場である息子を思いやっての気遣いや配慮なのだと思う。
そのことをありがたく受け止めたい一方、でも、その状況はあまりにも不自然だ。
彼がいるためにできない話があるとするならば、それは本当の意味で男性として扱われてはいないということになる。
彼に気を遣って言葉を選ぶ。話題を変える。
息子からしてみれば、周りに気を遣われることで、自分は周囲からは男性として扱いきれずにいることを知ることになる。

元女子の男性は、男性として扱われながらも、どこまでも元女子なのである。

そして、これは男性陣ばかりの問題ではない。
元女子であることを告げられれば、女性陣だって同じだ。
彼の前ではみんな言葉を選ぶようになり、腫れ物に触るような扱いをしてしまう。どうしても自然ではなくなってしまうのだ。
きっとそれは優しい心ある人間だからこその反応だと思う。
嬉しい半分、申し訳ない半分である。

そのうえで息子が出した答えは、
-だから、僕はカミングアウトはしない。

息子は元女子であることを伏せて社会に出ることを選んだ。

トランスジェンダーの人々の間ではこれを『埋没』と呼んでいる。

戸籍上も男性なのだから、男として生きていくことに何の問題もない。
公的な書類も変更されている現在となっては、自分から告白しなければ、誰もそのことを知りようもない。

「自分の過去をカミングアウトしないこと」
周りから完全に男性として扱ってもらうにはこれしか方法はないと息子は考えたようだ。

だから、息子は埋没の道を選んだ。
それは、自分の過去を隠したいからではない。
ただ、当たり前の暮らしを送りたいからだ。
周りのみんなに不自然じゃなく、普通に当たり前に接してもらいたいからだ。
自分に対する気遣いや遠慮が生まれないように。
自然に溶け込むために。

息子の場合、一部の人間は彼の事情を知っているため、完全な埋没とは言えないかもしれない。
必要な人に必要なだけ事情を知ってもらっていることが一番の理想に思える。
その上で社会生活上は埋没して生きる。
それでいいと思う。

埋没という響きはネガティブなイメージに聴こえるかもしれないが、決してマイナスな意味ではなく、周りに溶け込んで生きるという前向きな言葉として私は捉えている。

トランスジェンダーの人々の中には、完全に埋没して暮らしている人もいる。
各人、それぞれの事情を抱えて今を生きている。
だから、もしかすると、あなたの周りにも人知れず、埋没して暮らすトランスジェンダーの方が存在するかもしれない。
だからと言って「もしかしたら、この人そうかも?」なんて探してほしくない。
気づかなくていい。

トランスジェンダーの人がすぐそばにいることを知ってほしいと訴えながら、その一方で気づかないままでいてほしいだなんて、矛盾したことを言っていると私自身もそう思う。
ただ、私は彼らの平穏を願っているのだ。
そのままに静かに今の暮らしを続けてほしい。

あの人は男なのかとか、女なのかとか、そんなことはどうでもいい。
そもそも人を性別で区分することこそがナンセンスなのだ。
その人がその人の主張する性を生きればいいし、周りはそれをありのままに受け入れればいい。
日本には2種類の性別しかないが、タイには実に18種類もの性別が存在すると聞いたことがある。
そもそも2種類に分けたこと自体、無理があったのだ。
男性と女性のあいだに中間の性があったっていい。
もちろん男だっていい。女だっていい。
どちらでなくてもいい。どちらであってもいい。
その人がその人そのものであればそれでいいじゃないか。
人間一人ひとりが、お互いがお互いを支え合って生きていければそれでいい。
そこに性別は関係ない。
その人の主張する性を生きればそれでいい。
私は息子の成長を通して心からそう思うようになった。

息子は、元女子であることを伏せて男性として社会に出ることを選んだ。
息子がその道を選んだのは、差別や偏見から逃れるためではなく、人々の優しさに甘えないためだった。
彼をとりまく社会の大きな変化に、私は感謝せずにはいられない。

そして、いつか、セクシャルマイノリティの人たちが隣りにいるのが当たり前の世の中になったとき、息子は気兼ねなく、自分は元女子だと語れる日が来るだろう。
昔は左利きの人は強制的に右利きに修正をかけていたが、現代ではそんな話は聞いたことがない。我々も周りに左利きの人がいても全く驚いたりはしない。
いつかトランスジェンダーもそんなレベルで受け止められる日が来ることを期待したい。

ここに至るまでなかなかの遠回りをしてきたが、やっと息子の目の前にも揺るがない大きな道が現れたように思えた。
その道は、これまで彼がひとり迷いながら歩いてきたような細く険しい道ではなく、大勢の仲間たちが堂々と歩いている大きな道だ。
いま息子はその大勢の中に入って、みんなと一緒に歩き始めた。

よくここまで来たと思う。

親としてはもう送り出すだけでいいと思えた。
逞しくなったその背中を遠くで見守りながら。

 

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二つの選択【第十七章】

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息子は無事に性別適合手術を終えて、タイから帰国した。


息子が入院していた病院では、一日に3回、性別適合手術が行われており、息子のオペ日も、その次の日も、またその次の日も、毎日毎日、オペの予約でぎっしりと埋まっていた。
そして、そのオペの対象者は、私が見る限り、息子と同じくらいの年齢の日本人ばかりであることに私は驚いた。
みな、日本を出てタイで手術を受けているのだ。
こんなにも大勢の日本人が性別適合手術を受けているとは!!
それは、日本でこの15年間に1万人もの人々が戸籍の性別変更を行っているという事実を裏付けていると感じた。


息子と同様、自分の身体から望まぬ性の象徴たる臓器を抜き去った者たちは、みな晴れ晴れとした表情だった。
そこに迷いはなく、やっとここまで来れたという安堵と喜びに満ちていた。

 

帰国後、息子は手術証明書等一式を携えて、裁判所へ性別変更の申立ての申請を行った。
生殖腺の除去を性別変更の条件としている日本においては、この証明書がなければ戸籍の性別変更は許されないのである。

 

はじめてカミングアウトを受けた日から、実に5年という月日が過ぎていた。
苦しい日々も多々あったが、今となっては、私も我が子を息子としか思っていないし、これで戸籍も修正されれば、家族だけでなく、対外的にも名実ともに男性となる。

 

ようやくここまで来た。

 

申請から一ヶ月ほどして、裁判所から性別の変更を認める審判が下った。
続いて、戸籍、住民票、健康保険証、マイナンバーカード等の変更手続きが行われ、息子の性別欄は全て「男」になった。

我が家には長女と長男がいたわけだが、これにより戸籍の「長女」は「長男」に改められた。
弟の続柄は変更されないため、我が家は「長男」が二人いるという特殊な戸籍となった。

性別適合手術を終えてから4ヶ月後、息子は日本で胸の手術を受けた。
タイのオペで乳腺を取り去り、すでに胸は平らになっていたのだが、今度は美容整形の技術で、乳首を男性と同じ大きさにするための縮小手術を受けたのだ。
これで人前で上半身裸になったとしても、周りの男性たちとほぼ変わらない姿となった。
これからは友人たちと海水浴やプールにも行けるだろうし、銭湯はまだ課題が少し残るかもしれないが、今後の活動範囲は広がることだろう。


だが、オペを終えても、男性ホルモンを生み出す臓器は持ち合わせていないため、これまで通り、男性ホルモンの投与は隔週で続けていかなければならない。
しかし、性別が男性になったことで、保険が適用されることになったのには驚いた。
女性に対して男性ホルモンを投与するのではなく、男性に対して男性ホルモンを投与するわけだから、必要な治療とみなされるらしい。
本来は手術の有無に拘らずホルモン治療は保険適用であるべきと思うと、少々複雑な心境ではあったが、ホルモン治療は一生続くことなので、経済的にはありがたい話だった。

こうして戸籍上も男性となった息子は、正真正銘の男性として社会に出る準備が整った。

 

そして、彼はこれからの生き方を考える。

選択肢は二つ。

一つは、自分が元女子であることを伝えた上で男性として生きる。
もう一つは、過去のことは伏せたまま、はじめから男性であったように生きる。

身長や手足の大きさはどうしても女子の時のままだが、そうした体格を除けば、顔つきも声色もすっかり男性だ。声の低さはまるで中尾彬のようである(笑)。
もうどこからどう見ても男性にしか見えない。
そして、戸籍も男性となった今、あえて自分が元女子であったことを周りに伝える必要があるのだろうか?

もちろん、隠すことではない。

LGBTについては、今後、子供たちの教科書にも載せて教育を行っていくことになったほど、世間ではその存在は当たり前になりつつあり、もう差別している側の方が逆に非難を浴びるような世の中になってきた。
息子からカミングアウトを受けた5年前より、更に現在の方がまた一段と世の中の理解は進んでいると思う。
こんな今だからこそ、堂々と元女子であったことをあからさまにしてもいいのではないか。
後に続く同じ境遇の者たちのためにも、そういった道を切り開いていくべきではないか。


いつか周りに知られてしまうのであれば、自分の口からきちんと伝えたい。でも、最後まで知られずに済むのであれば、このまま伝えずにいたい。

これが正直な思いのようだ。

 

性別を選択する時にはなんの迷いも見せなかった息子だったが、これからの生き方を決めるこの二つの選択にはいくらかの迷いが生じているようだった。


やがて就職活動の時期を迎え、彼は就職活動においては、自分がトランスジェンダーであることを正直に告げることを決意した。
全てを知ってもらった上で、それでも採用してくれる会社に就職したいと考えたようだった。

はたして社会は彼をどう受け止めるのか。

私は遠くから見守っていたが、息子が受けた会社のなかで、トランスジェンダーであることを理由に息子を拒む会社は一社もなかった。
そして、最終的に息子が就職を決めた会社は、彼に対しての配慮と思いやりに溢れており、こんなにもあたたかい職場があるのかと私は驚いた。


時代が変わったとかそういう問題ではなく、そもそも我々人間にはそういった相手を思いやる気持ちが備わっており、出会いや人との繋がりを大切にできる生き物だったことを思い出させてくれた。
この社会は捨てたものではない。改めてそう思った。

就職先が決まると、息子はまたあの二つの選択肢と向き合うことになった。
就職活動の流れから人事部は息子の事情を知っているが、そのことを他の社員にも周知して働くか、事情を伏せて働くか。

 

彼の選んだ答えは、また私に新たな気づきをもたらすものだった。(つづく)

 

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息子の覚悟【第十六章】

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私は息子が抱いている複雑な思いを知らなかった。

見直さなければならない問題点のある法律だが、性別適合手術を受ければ、戸籍の変更はできることになっている。(詳しくは『信じがたい条件【第十四章』)

そうすれば息子は男性として生きていける。

息子はもうどんな手続きにおいても、自分が男なのか女なのか悩まなくて済む。

どんな書類にも堂々と性別欄の「男」に丸をつけることができる。

保険証にも「裏面記載」などとまわりくどいことは書かれずに、おもて面に「男」と記載される。

これで息子は晴れて男性として堂々と生きていける。私はそう思っていた。


しかし、息子の心情を聞いてみると、そんな単純なものではなかった。

 

ネットで調べてみると、性別適合手術を受けてから、そのことを後悔する人たちが少なからず存在することを知った。

親にとって、それはもう恐怖でしかなかった。

ホルモン治療なら、ホルモンの投与をやめれば、身体を元の状態へある程度は戻すことができるだろう。

でも、一度身体にメスを入れてしまったら、もう二度と元に戻すことはできない。


それでも手術をしていいのか?

 

性別適合手術を受けて、戸籍を変更してから後に命を絶つ人も相当数いることを知り、私は怖くなった。

息子の明るい未来のためにこの手術があるのだと信じていたのに-。

私は親としてこの手術に同意していいものか、本当にわからなくなった。

 

でも、息子の手術を受けたい意志は変わらない。


親から見ても、息子が男性であることに間違いはないと思う。その点においておそらく手術を後悔することはないだろう。
そして、念願の戸籍変更も叶う。


でも、息子は、この戸籍の変更こそが、実は何よりも覚悟のいるものだと語った。


戸籍の変更をすれば、これで息子は法律上も「男性」となる。

もちろん、それを望んでの手術なのだが、この手術をしても本当の男性の身体を手に入れられるわけではない。

女性の生殖機能をなくしても、男性の生殖機能を手に入れられるわけではないからだ。

息子はその不完全な状態で「男性」を名乗ることになるのだと。

自分は男であって男でないのだと。

戸籍を変えて正式に男性になることで、男の枠に入れられるからこそ、その現実を突きつけられることになるのだと言った。


たとえば、男湯に入ることを想像してみた。

自分の性別は男性だから、当然「男湯」に入るが、そこは、心と身体が一致して男性として生まれた人たちの集まりだ。

自分にはないものがみんなにはあり、自分にはそれがない。

そのことをあからさまに見せつけられることになる。


男社会に入るということは、常にそういう状態に晒されることなのだと感じた。

 

かといって、このまま女性の戸籍でいることはもっと辛かった。

自分が男性として暮らしていること自体が、周囲に対して常に嘘をついているような気がしてしまうのだ。

 

社会の中でも、戸籍の上でも偽りのない「男性」でありたいと息子は願っていた。

だから、手術をして戸籍を変えたいのだと。

 

でも、戸籍さえ変えれば、明るい未来が待っているというわけではなかった。

手術を受けて戸籍を変えることで、晴れて男になれる、女になれると信じていた人たちは、結果、何も変わらない現実、いや、これまで以上に周りとの差に苦しむ現実に失望し、精神が追い込まれることになるやもしれなかった。

 

性別適合手術をすれば男になれる。
戸籍を変えれば男になれる。
そんな単純なものではなかった。

 

現実は、男性という枠の中に入ってからの劣等感との闘いだ。
この覚悟をしてからでないと、手術をしてはならないと思った。

 

性同一性障害という心と身体の不一致において、それを解消するために、心に身体を合わせるのなら、手術して現在の生殖腺を取り去るしかない。

でも、そうしたところで、なりたいと望む性のなかでは、あるべきものがないという状態に変わりはない。

そのことを嘆き悲しむのであれば手術に踏み切ってはならない。

それを覚悟した上で手術をしなくてはならない。

そう思った。

 

私は息子に伝えたい。

自分の望む正しい性別にするために、自分の身体の臓器を一部失うことになるけれど、これが自分が自分らしく生きられる唯一の方法だったのだと、どうか揺るがぬ気持ちでいてほしい。

手術をすることで、女性でも男性でもどちらでもない身体になってしまったとは捉えてほしくない。

手術をすることで、性同一性障害という心と身体が不一致だった器官は取り除かれるのだ。

現代の医学では、心と一致する完璧な身体の器官を付け足すことはまだできないけれど、「引き算」をしたことで、あなたはもう心と身体は不一致ではない。

だから、安心して心の訴える性別を唱えていい。

胸を張って「男性」だと言っていい。

ただ、事情があって生殖機能は取り除かれている男性なのだと。

 

息子は、私には考えも及ばなかったこんな自問自答を何度も何度も繰り返し、そして、覚悟を決めていたのだとわかった。

 

私は息子の手術に同意した。

私にできることは、息子を見守り、手術の成功を祈るのみだ。

 

 

そして、息子の手術の日どりが決まった。

 

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戸籍の性別【第十五章】

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自分が性同一性障害であることに気づいたとき、その人がとる行動は実に様々だ。

息子のように、身体の手術を受けて戸籍まで変えたいと思う人もいれば、手術をしても戸籍の性別はそのままでいいという人もいる。

性別を訂正して暮らしていても手術はしなくていいという人もいる。

胸の手術だけをする人もいる。

異性の格好をするだけでいいという人もいる。

--身体とこころの性が違う--

その歪みを埋めるための方法は、その人その人によってそれぞれ違うのだ。

その人が生きやすいように自分の生きる道を選択すればそれでいい。

でも、その選択は自由に選べる世の中であるべきだ。

それなのに、戸籍の性別を変更したいと願う者に対して突き付けられる日本の法律の信じがたい条件。

「生殖腺がないこと」
「生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」

そこに自由などなかった。

(詳しくは『信じがたい条件【第十四章】』)

 

そもそも「性別を変更する」というこの言葉。

この表現自体、私はおかしいと思う。

私もこの表現を何度か使ってきたけれど、「変更」とか「変える」とかいう表現では、まるで自分の好みで選んでいるような印象になってしまうのではないか?

でも、実際はそういうことではない。

「変えた」のではなくて、間違っていた性別を本来の正しい性別に「正した」と言った方が正確だ。

息子は正しい性別に直したいだけなのだ。

だから、私は我が子のことを話す時、「女性から男性に性別を訂正した」と表現している。

今の世の中は、個性を尊重して、その人その人の生き方を認めている。

それは素晴らしいことだと思う。

でも、もし「いまは個性が尊重される自由な時代だから、男になりたかったらなればいいし、女になりたかったらなればいい。性別を変えるのも自由だよね」というふうに捉えている人がいるとしたら、

それは違うと言いたい。

彼らは自由に性別を選んでいるわけではない。

生まれた時から間違った性別を割り当てられてしまったのだ。

性別を身体で判断したせいで、私の息子も生まれた瞬間から「女性」として識別された。

そして、それを疑うこともなく、私も息子を女の子として育てて来てしまった。

オオカミに育てられた人間は、自分をオオカミだと思い込み、四つ脚で歩行するようになるという。

息子も娘として育てられたせいで、ある程度の年齢まではそれを素直に受け入れて、周りに染められて女の子らしく育った。

でも、思春期を迎えて、女性ホルモンが身体のなかで大きく作用する時期になると、息子はその違和感に気がついた。

女らしくなっていく肉体と、男でありたいと思う精神は真逆の方向へ向かい、それは心を引き裂くとてつもない苦しみとなって息子を襲った。

オオカミに育てられた少年もある時期が来たとき、自分は本当は人間であることを自覚し、心のバランスが崩れたのではないだろうか。

息子が女性から男性になることを望んだのは、「男の子になりたい」などという憧れみたいなものとはわけが違う。

もともと男の子だった自分を「どうか男の子に戻してくれ」という叫びにも近い訴えなのだ。

息子は途中で男の子に変更したのではない。
最初から男の子だったのだ。

だから、戸籍の性別を変更したいのではなく、訂正したいだけなのだ。

それなのに、日本で性別を訂正するには、生殖機能を失くすことを条件とする過酷な代償が用意されていた。

おそらく社会のなかの性の秩序を保つためなのかと推察するが、性的指向の自由が認められてきた昨今、生殖機能を失くすことを条件とする法律など時代錯誤も甚だしい。

この法律の撤廃を求めて訴訟を起こして戦っている人もいる。

大いに応援したいし、こうした動きが少しずつ国を動かし、法律も変わっていくと思う。

きっと、手術をせずとも戸籍の性別を訂正できる日がそう遠くはない未来に訪れると信じている。

そして、息子のようにホルモン投与や手術を選択するトランスジェンダーには、それが医療的処置とみなされ、保険適用が認められるようになってほしいと願う。

そして、いつか医療技術も進歩して、性別適合手術の「足し算」の部分も進化して、性同一性障害者にとって、心と身体の性を一致させる治療となってくれることを願っている。

 

でも、息子はそのいつかを待つことなく、手術を受けることを既に決意していた。

息子には自分の身体から女性の部分を排除したいという強い思いがあった。

と同時に、その決意の裏側で息子が抱いていた複雑な心境に、私はまだ気づいていなかった。

 

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信じがたい条件【第十四章】

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息子は性別適合手術をタイで受けるための手続きを始めた。

性別適合手術は、日本よりもタイの方がその症例数の多さから医療技術が進んでおり、その道に精通した医者やスタッフも充実している。

費用面でも日本に比べると格段に安くなっている。

日本では、性別適合手術を請負える医療機関はごく僅かであり、さらに、ほとんどのケースで保険適用外となるため高額の医療費がかかる。

対応できる病院が少ないことから、国内での手術の多くは美容整形外科を頼ることになる。

その場合、一泊または日帰りでの手術になることが多いという。

もちろん保険はきかない。

近年は腹腔鏡での術式が大半になり、体への負担が少なくなったとはいえ、それでも入院をして術後の経過を観察してもらえるタイの方が安心感があった。

そういった点からも、費用の面からも、タイでの手術を望む人が多いのだ。

息子もその一人だ。

そして、タイの病院との交渉や航空機のチケットの手配まで、全て国内のアテンド会社が代行してくれるため、安心して手続きが進められている。

 

私はほんの少し前まで、「性別適合手術」は「性転換手術」とも呼ばれていたことから、文字通り、性を転換する手術、すなわち、女性なら男性の、男性なら女性の身体に変えるための手術だと思っていた。

自分の身体に不要なものを引き算して、必要なものを足し算するのだと。

でも、医療技術はかなり進歩したものの、引き算はできても、足し算の部分はまだ不完全のようで、そこまでを求める人は少ないのだそうだ。

だから、性別適合手術といっても、それは男性の身体や、女性の身体を手に入れるためにするものではなく、引き算だけにとどまるケースが多いのだという。

したがって、息子のように女性から男性への性別適合手術の場合、見た目の変化はほとんどない。

それでもトランスジェンダーの多くが性別適合手術を受けようとするのは何故なのか?

それには理由があったのだ。

 

いまや社会はこんなにも多様性を認め合える世の中になってきたというのに、いまだ息子を男性として受け入れない大きな壁。

--それは、日本の法律だ。

日本においても性同一性障害者の性別変更は認められている。

でも、それは信じがたい条件付きだったのだ。

「生殖腺がないこと」
「生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」

生殖機能を失くさなければ、性別変更を認めないというのだ。

息子は私にカミングアウトしたときから、戸籍を変更するために性別適合手術を受けたいと言っていた。

それはこの条件のせいだったのだ。

息子はこの条件に従って、戸籍のために生殖腺を捨てようとしているのかと思うと、息子の人権を踏みにじられているようで、言いようのない悔しさがこみあげて来た。

戸籍を変更するために、どうして生殖機能をなくす必要があるのだろうか。

 

昨年の調査によると、2019年までの15年間で、日本国内で戸籍の性別を変更した人は1万人近くにのぼるという。

戸籍を変えたということは、皆、生殖機能をなくす手術を受けたということになる。

そうしなければ、日本では戸籍の変更は認められないからだ。

諸外国では、性別を変更するために生殖能力をなくす手術を義務づけることは人権侵害だとする考え方が強い。

近年、WHOもそれと同意の声明を発表している。

日本と同じような法律を持っていた国々も、現在ではその8割近くが性別変更のために生殖能力を失わせるような条件は撤廃したという。

しかし、いまだ日本の法律は変わっていない。

だから、日本で戸籍の性別変更をしたいなら、生殖機能を失くすために「引き算」だけしかできなくても性別適合手術を受けるのだ。

さらに、同性婚が認められないこの日本では、婚姻のためにも、トランスジェンダーは戸籍の性別を変更する必要がある。

でも、戸籍の変更のために大金と時間と命をかけるのはおかしいとして、この法律に異議を唱え、戸籍を変えずに暮らしているトランスジェンダーも多いという。

性別適合手術には多額の費用がかかるし、海外で受けるとなると更に時間もかかる。

そして何よりその手術自体が全身麻酔で臓器を摘出するという命懸けの行為なのだ。

 

それでも、息子は性別適合手術を受けて、戸籍も変えたいと言う。

私は複雑な思いだった。

こんな時代遅れの法律に振り回されてしまっていいのか?

もう少し待てば、法改正の可能性もあるのではないか?

でも、息子が手術を望むのは、戸籍を正すためという理由もあるが、それよりなにより自分自身のためなのだと言った。

隔週で定期的に打ち続けているホルモン注射を何らかの理由で怠れば、身体の中に未だ存在する女性ホルモンが優位となり、忘れかけていた生理が来てしまう。

男性として生きているのに、生理が来るのだ。

これは表現しがたい悔しさであり、悲しみだ。

どんなに男らしく生きていても、身体は女であることを嫌というほど思い知らされることになる。

息子はほんの少しも気を抜くことができない恐怖と背中合わせでいるのだ。

自分の身体から女性ホルモンの根源を断たなければ、安心することはできないのだ。

私はいつだったか何かのドキュメンタリーで、我が子とは反対に、男性から女性へ性別適合手術を受けた人が涙ながらに話していた言葉を思い出した。

「たとえ手術をしても女性の身体になれるわけではないんです。生理が来ることはないんです」と。

本当に切ない。

その人は、我が子と逆のことで悲しみ、女性の証である生理が来ることを切望していた。

どうしてこんなことになってしまうんだろう。
どうして心と身体の性を一致して生まれることができなかったのだろう。

また、答えの出ない沼に堕ちていく。

 

性別適合手術は息子にとって、女性である身体と別れるためにどうしても必要なものだった。

息子の思いは理解したが、私は日本のこの法律への憤りをどうしても抑えることができなかった。

 

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成人式でカミングアウト【第十三章】

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やがて、元女子の息子は二十歳になり、男子として成人式の日を迎えた。

この日に向けて、息子は新しいスーツとコートと靴を準備した。

約ニ年に渡る男性ホルモン投与のおかげで、息子の声は低くなり、見た目はすっかり男子だが、身長だけはホルモン治療でも伸ばすことはできないため、女子のときの身長のままだった。

それを気にして、息子はかなりの厚底のインソールが仕込まれているシークレットシューズを購入していた。

それを履くと、私も少し見上げるくらいの身長に変身した。

当日、息子は、鏡の前で悪戦苦闘しながら、慣れない手つきでネクタイをしめた。

男性の象徴ともいえるネクタイをしめる行為は憧れであったに違いない。

新調したスーツとコートに身を包み、魔法のシューズでちょっとだけ身長をかさ増しして、息子は「行ってきます」と式場へ出掛けて行った。

そのスーツ姿の背中を玄関で見送りながら、私に全く不安がなかったわけではない。

成人式という今日のこの日を利用して、かつての仲間たちに自分のことをカミングアウトするのだと息子は言っていた。

はたして受け入れられるだろうか。
後ろ指を差されることはないだろうか。
仲間はずれにされることはないだろうか。

嫌な妄想が押し寄せる。

前章で「時代は変わった」とあんなに実感しておきながらも、やはり、親としては不安なのだ。    〈詳しくは『時代は変わった【第十二章】』〉

いや、息子を信じよう。息子の仲間を信じよう。


数時間後、華やかな振袖姿の女友だちに囲まれて、まるでハーレムのような状態の息子の写真がラインで送られて来た。

その笑顔はカミングアウトがうまくいったことを示していた。


私は安堵した。


それにしても、なんと可愛い女性たちの色とりどりの華やかな衣装!!

そういえば、我が家にも息子(娘のときの名前宛)へ振袖セールの案内状が何通も何通も届いていたが、我が家にはもう娘はいないため、行き場を失ったその郵便たちは紙ゴミとなって山のように積まれていたことを思い出す。

娘の振袖姿…、今となっては息子の振袖姿か。
ありえない。
親としてはなんとも複雑な心境だ。
でも、私は我が子の振袖姿を見たいなどという気持ちは微塵も起こらなかった。

私ももうすっかり男の子の親に成長したようだ。


成人式で久しぶりに息子と会った中学時代の仲間たちは、ガラリと男子に変身したスーツ姿の息子を、最初は誰だかわからない様子だったそうだ。

息子には弟がいるのだが、なかには、息子を弟のほうと間違えて「お姉ちゃんはどこ?」と本人に尋ねた同級生もいたらしい。

その同級生の知る「お姉ちゃん」の面影が、目の前にいる弟らしき人物にはあったようだ。

そりゃそうだ。何を隠そう当の本人なのだから。

気づかない同級生たちに、自分の名前を告げると「えー!!」と驚きながらも、みんな、学生時代の息子の様子を知っているだけに「そういうことね」とお察しの様子だったという。

息子のカミングアウトに過剰に反応するでもなく、あくまでも自然にこれまで通りに接してくれたという。

根掘り葉掘りと事情を訊いてくるような友だちはひとりもいなかったそうだ。

男性になって現れた息子をみんなすんなりと受け入れてくれたようだ。

若者たちはこんなにも柔軟性があるのか。驚いた。

私は何を怯えていたのか。自分が恥ずかしくなった。

 

--これからは男性として生きていく

そのことを友だちに宣言した、息子にとって大切な節目となる成人式となった。

 

『自分に嘘をつかず、自分らしく生きる』

そんな息子の生き方を仲間たちも認めてくれた。

それは親としてなによりも嬉しかったし、ありがたかった。

これからの未来は、この若者たちが作っていくのだ。ひとりひとりの個性を認め、偏見のない世の中にきっとなる。この子たちなら大丈夫。

写真のなかで、みんなの笑顔が輝いていた。

 

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時代は変わった【第十二章】

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息子は高校2年生の途中から学校に行けなくなり、3年生の秋に通信制の学校に転校した。

      〈詳しくは『不登校【第五章】』〉

息子は転校先で理解ある校長先生に出会うことができ、サポートを受けながら、精神状態が浮き沈みするなか、なんとか大学へ進学することができた。

息子は大学へは男性として入学することを望んだ。

戸籍上はまだ女性であっても、本人が希望すれば男性として扱ってもらうことができるという。

そのためには男性としての通称名が必要となり、私は息子に人生二度目の名付けをした。今度は本人の意向も聞きながら。

大学へは、入学前に「性同一性障害であることの診断書」を持参して事情を説明することで、戸籍上は女性である息子を快く男性として受け入れてもらうことができた。

これは大学だけでなく、小中高大全ての学校に対し、文部科学省から「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」という通達がなされているからだという。

国も積極的に動いている。

ーー時代は変わった。


その後、息子は家庭裁判所に申立てをして名前を正式に変更し、戸籍や住民票の記載も変わった。

健康保険証も、マイナンバーカードも新しい名前で発行された。

教習所を卒業し、初めて手にした運転免許証が男性の名前で交付された時は、免許取得の喜びがさらに倍増した。

保険証のような性別の記載のあるものについては、おもて面の性別欄の箇所には性別は記載されず、「裏面記載」と記され、目につきにくい裏面に「戸籍上の性別:女」と記された。

「戸籍上」とあえて記載することで、「社会では男性として暮らしている」ことを意味していた。

マイナンバーカードは、おもて面に性別が記載されてしまうが、専用フィルムケースに収納すると性別欄が隠れる仕組みになっていた。

様々なところで配慮を感じた。

病院も役所も学校もどの窓口でも、こういった手続きに対して、不審そうな顔をする人はひとりもいなかった。

ーー時代は変わった。

 

正直なところ、最初、私は不安だった。

たしかに私たち家族のなかでは、間違いなく我が子は娘から息子に変わっていた。

息子には弟もいるのだが、弟も「姉」から「兄」に呼び方を変えていた。

我が家の子供は一男一女から息子二人になったのだ。

それは大事件であったけれど、時間をかけて、我が家ではもう当たり前の事実となっていた。

でも、それはあくまでも我が家の中だけの話だ。

家族の中の常識ははたして世間に通用するのか。

社会はこの子を男性として受け入れてくれるのか。

そのことが心配で怖かった。

また、あの頃のように息子の心を傷つけ壊してしまいはしないだろうか。

    〈詳しくは『苦しみの泉【第六章】 』〉

怖かった。

でも、こうして一連の手続きを終えて、私の感じたことを一言で表すなら「時代は変わった」だ。

どの窓口でも、性的マイノリティの者への気配りがなされ、個々を大切にする思いをひしひしと感じた。

誰も息子に対して冷たい扱いを一切しなかった。

ここ数年、連日のように、LGBTQといった性的マイノリティに関する情報がニュースで流れ、人々の耳にも珍しくなくなってきている。

そのことが一番大きいかもしれない。

みんながその存在を知り、正しく理解すること。社会は一人一人の人間で成り立っている。そのひとりひとりの認識がこの社会を変えるのだ。

もちろん、偏見や差別意識のある人はまだまだ存在するだろう。

でも、まずは、社会の入口となるこうした役所や学校の窓口で、息子を傷つける扱いをする人が一人もいなかったこと。

それだけでも大きな進歩だと思えた。

 

ーーそう、時代は変わったのだ。

 

息子は肩身の狭い思いをしながらこの世を生きていかなくてはならないのではないか。

そんなふうに思っていた私の方こそ、時代遅れだったのかもしれない。

これからもっと世の中の理解は進み、この社会が、息子にとって、性的マイノリティの者たちにとって、もっともっと住みやすい世の中になっていく、そんな予感がした。

 

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