母の覚悟【第八章】
私は、娘のカミングアウトを受け入れた。
それは、あの告白のLINEだけのせいではない。 〈詳しくは『カミングアウトの日【第四章】』〉
この半年、私は我が子の命を失うかもしれない生と死のギリギリラインを何度も見てきた。
娘は全身全霊、身体を張って、性同一性障害を私に訴えてきた。
そのエネルギーに押されたからかもしれない。
そう、そのくらいのパワーで訴えて来なければ「性別を変える」などというこんな高いハードルは跳び越えることはできなかったかもしれない。
親も子もそれこそ命懸けだ。
〈詳しくは『苦しみの泉【第六章】〉
それからの私は必死にトランスジェンダーについての情報を集めた。
最近、よく耳にするようになったLGBTについても、まだ中身はよくわかっていなかった。
こうした性的マイノリティの人は極少数ではあるが、確実に存在する。
娘のように身体は女だけれども性自認が男である場合をFTM(Female To Male)、その反対はMTF(Male To Female)と呼ばれる。
YouTubeにも、娘と同じFTMのチャンネルがいくつかあり、特に「キットチャンネル」は何度も観た。
全く男性にしか見えない元女子のふたりが活躍するYouTubeは私の心の支えだった。
娘の未来と重ねて、こんなふうに明るく生きていける将来がこの子にも待っていてほしい。そう願った。
とにかく毎日毎日、娘と同じ境遇にある人の情報を調べ続けた。
人数は少ないけれど、確実に存在するたくさんの実例に触れながら、私は救われる思いだった。
自分たちは孤独ではない。
会ったことはないけれど、私たちには同じ境遇の仲間がいる。
ネットを通して、このスマホの向こう側にたくさんの仲間がいると思えたことが、私の心の支えとなった。
(私が自分の体験談をブログで発信する決意をしたのも、情報発信の大切さを知ったからにほかならない)
そして、私が一番懸念していたこと、娘の幼少期には確実に女の子の意識があったという点。
〈詳しくは『可愛い女の子【第二章】』〉
調べていくと、自分がトランスジェンダーだと自覚するのは思春期を迎えてからの人も多く、幼少期から意識することだけが絶対ではないこともわかった。
いわゆる思春期と呼ばれるような第一次性徴期、第二次性徴期には女性は女らしく、男性は男らしい体つきへと変化していく。
その時期になって初めて、それをどうしても受け入れられない自分に気づき、性同一性障害を自覚する人も少なくないということを知った。
そして、トランスジェンダーの人たちにとっては、体内で作られないホルモンは外部から入れるしかないため、ホルモン注射をせざるを得ない。
少しでも自身の身体を自認している性に近づけたいという思いは本能として当然であると感じた。
ホルモン注射は二週間に一度のペースで一生打ち続けなくてはならないという。
ある時『外から入れるホルモンのせいで寿命が短くなる』という記事を見つけ、ショックを受けた私は、恐る恐るそのことを娘に伝えてみた。
すると、娘はそのことは既に承知していて、
「自分の性に嘘をついて長生きするより、寿命が短くなったとしても、自分が自分らしく、正しい性で生きられる短い人生のほうがずっといい」
と何の迷いもなく言い放った。
このとき私はこの子は本気だと確信した。
※後に、このホルモン治療により寿命が短くなるという説は噂話に過ぎず、根拠のない話だと知る。
私はホルモン注射を打つことも許してやらなくてはならないと思った。
そして、日に日に女性らしく丸みを帯びた身体つきになることを止めるには、一刻も早いホルモン治療の開始が必要だと知った。
私がホルモン治療を認めると、娘は本当に嬉しそうだった。
この治療により、顔も男らしくなり、髭が生え、声変わりも始まるのだそうだ。
思春期の男の子が経験する事象が一気に起こり始めるらしい。
娘が自分をいくら男の子っぽく着飾っても、身体が女であるという事実はどうしても娘を苦しませていたが、その身体が少しでも男性に近づけることは、私たちの想像以上にこの子の心を救っていることがわかった。
娘からのカミングアウトを受け入れてからは、胸を潰して服が着られる「なべシャツ」を買ってやったり、ボクサーパンツの下着を買ってやったりした。
お洒落に興味がなかった頃が嘘のように、髪の色を染めてみたり、ツーブロックにしたり、カッコいいメンズ服を買ってきたりしてオシャレを決め込んでいる。
娘は私の承認を得たことで、堂々と男子の恰好ができるようになり、見違えるように生き生きとしてきた。
そんな様子を見ながら、私は、この子は本当に男の子なのだとつくづく感じた。
--私も覚悟はできた。
〈ここからは、娘ではなく、息子と呼ぶことにする〉
自分の進む道が見えてきた息子はすっかり明るさを取り戻し、徐々に体調も回復してきた。
あのとき私に見えた死神はもう二度と姿を現すことはなかった。
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