可愛い女の子【第二章】
娘は小学校高学年の頃から、自分のことを「オレ」と呼ぶようになっていた。
可愛いオシャレには全く興味を示さない。
中学生になると、これ以上は短くできないくらいのショートヘアになった。
他人から見れば、私の娘はすでに男の子だったかもしれない。
外出先でもよく男の子に間違われた。
そして、なぜかそのことを本人はとても喜んでいるように見えた。
でも、私は、それを我が子の生き方、たとえば宝塚の男役のようなカッコいい女性の生き方のように捉えていた。
娘はたしかに男の子っぽかったが、私たち親にとっては紛れもない女の子だったのだ。
親バカながら、娘は可愛い女の子だった。
幼少期は特に可愛いかった。
いつも髪を長く伸ばし、私がヘアゴムで可愛く結んであげていた。
夏祭りには喜んで浴衣を着て出掛け、屋台の宝石すくいが大好きだった。
七五三のお祝いのときには、晴れ着姿でおめかしをし、小学校入学前には喜んで赤いランドセルを背負って何度も鏡に姿を映していた。
それらの事実は紛れもない真実であり、そしてそれは、娘からすれば記憶に残らないほど遠い昔のことかもしれないが、親の私からしてみれば、ほんの十数年前の、つい最近のことなのだ。
その事実が鮮明であるがゆえに、「自分は実は男なのだ」と言われても「いやいや、それは違う」とまずは否定せずにはいられない。
17年前の冬、
「おめでとうございます。可愛い女の子ですよ」
と助産師さんの手から私の胸の上にちょこんと置かれた小さな女の子。
そのはじめての対面から、はじめての授乳、はじめての寝返り、はじめてのハイハイ、よちよち歩き、カタコトのおしゃべり。
少しずつ少しずつ成長していく娘の姿は、本当に私たちの生き甲斐だった。
その後、弟が生まれたが、娘はよくお世話のできる弟思いの優しいお姉ちゃんだった。
思い返しても、その頃の娘には男の子である片鱗は微塵も感じられなかった。
性同一性障害については、具体的にではないにせよ、私も少しは知っていた。
私の知識のなかの性同一性障害の人というものは、小さい頃から自分の性に違和感を抱き、物心ついたときから、女の子は男の子の遊びを好み、男の子は女の子の遊びを好むというものだった。
そう、我が子にはまったく当てはまらない。
ウチの子は、女の子の遊びをちゃんとしていたのだ。
ピンク色が大好きで、いつもピンクの洋服ばかりを着ていた。
しまじろうのぬいぐるみをおんぶしてお世話をし、おままごとセットでお料理を作った。
プリキュアが大好きで、大きくなったらプリキュアになるのだと言っていた。
どこから見ても、誰が見ても、紛れもない女の子だったのだ。
性同一性障害であれば、小さい頃からスカートも履きたがらなかったはず。
髪も長く伸ばしたがらなかったはず。
あの可愛かった夏祭りの浴衣姿、七五三のおめかしした顔、赤いランドセルを背負って嬉しそうに微笑む姿。
どれも親が無理にさせたことではなく、本人が望んでそうしていたことだった。
だから、我が子は性同一性障害ではない。
だって、その要素はどこにもなかったのだから。
-しかし-
それらの数々の思い出の上を覆い被さるかのように、次々とそれを塗り替えるだけのたくさんの相反的な事実が私の脳裏を埋め尽くして来た。
そう、それがカミングアウトを受けた直後に起こった私の頭の中のもやもやした感覚の正体だった。
それは、私がこれまでの子育てのなかで何度も感じてきた「違和感」と言えばいいのか、「あれ?」と思いながらやり過ごしてきた多くの出来事や事象の数々だった。
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