苦しみの泉【第六章】
カミングアウト、今日のこの日にいたるまで、娘は相当な苦しみを抱えて生きてきた。
〈詳しくはカミングアウトの日【第四章】〉
半年前から学校にも行けなくなり、自分の存在を否定し、自分で自分を傷つけるようになった。
スクールカウンセラーさんからは自傷は死ぬためではなく、生きるためにすることだと教えられた。
自傷することで、脳内麻薬が分泌され、その瞬間は苦しみから解放されるのだそうだ。
精神が正常な状態にある人間からは想像もつかない行為であり、甘えだとか、かまってほしいからだとか勘違いされがちだが、傍にいた私から見れば、その行為はまるで苦しみの泉に溺れもがきながらなんとか水面から顔を出して酸素を求める息継ぎのように思えた。
生きようとして必死で息を吸っているのだと。
だから、私はその行為に気付いていても、見て見ぬ振りをし、心の中では涙を流しながら、でも、決して子どもにはそれを悟られぬよう嘘の表情を作って、冷静に淡々と傷の手当てだけを続けた。
心に嘘をついて平静を装う毎日に、私の精神もボロボロになりそうだった。
自分の性と心が一致しない苦しさは計り知れない。
ネットで検索をかけると、数々の事例にあたるが、なかでも、トランスジェンダーの子どもたちがカミングアウトできずに苦しんでいる姿には胸が痛くなる。
当時、私の娘もその子たちと同じ苦しみの中にいた。
みんな共通して、自分の存在を否定する。
性と心が一致しない自分は気持ち悪い人間だ、生きていてはいけない人間だ、どうしてこんな体に生まれてしまったのか、と。
その悲痛な叫びはどこに訴えることもできないまま、自分の心の中で押し殺し、抑えきれない苦しみとなって、やがては不登校や心の病を導いて来る。
娘はおそらく渾身の勇気を振り絞って私にカミングアウトをしたが、それに対して、私はどうしてやることもできなかった。
娘が自分の性別を男性であると捉えていることはわかった。
だが、「性別を変えたい」と言われても、これを受け入れることは容易なことではない。
注射や手術については、もはや恐怖にも似た感情さえ起こった。
戸惑い続けていた私は、カミングアウトをされてからも、そのことには触れず、「あなたの気持ちを尊重する」なんていう中途半端な肯定だけを告げて、そのまま逃げてしまっていたのだ。
自分の身体を受け入れられなくなった娘は、だんだん自尊心が薄くなり、希死念慮が強くなっていった。
生きるか死ぬかの瀬戸際を歩いているような毎日だった。
一歩間違えば、向こうの世界に行ってしまうかもしれない不安定な精神状態でギリギリの生活を送っていた。
娘の情緒が不安定になる時、私には娘の背後に死神が大きな鎌を携えて立っている姿が見える気がした。
娘の行為は、本人が望んでそうしているのではなく、死神に操られているように思えた。
やがて、その死神は私の背後にも現れるようになり、娘と同じ世界に引っ張られる感覚を覚えた。
私も相当弱っていた。
娘といる時間が長い分、私の心も疲れていた。
やがて、家族全体が疲弊した。
自傷は生きるためにする行為とはいえ、その延長線上には戻れない場所があり、娘はふとした瞬間にその一歩を踏み出す危険性があるとの診断により、専門の病院に入院することになった。
でも、この入院で、娘は地獄から立ち上がる出会いをすることになる。
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