ホルモン治療【第十一章】
息子はジェンダー外来に通い始めた。
ホルモン治療が開始されれば、月経が止まり、声が低くなり、毛が濃くなり、男らしい身体へと変化していくことになる。
ただ、ホルモン治療が開始されるまでには、なかなかの手続きが必要だった。
まずは、性同一性障害であることの診断書をもらわなくてはならない。
そこで、数少ないジェンダー外来を探して、通い始めた。私たちの住む街にはそういった病院はなかったので、電車で一時間以上かけて。
息子の通うジェンダー外来では、本人の性自認が男性であることを確認するため、幼少期から現在までの自分史の作成、その当時の写真の提出、本人からの聞き取り等が何ヶ月にも渡って行われた。
性同一性障害に関する意見書は2箇所の病院から出してもらう必要があったため、さらに時間を要した。
そして、私が一番懸念したのは、自分の身体が女性であることを証明するために、産婦人科での診察が必要であるという点だった。
性同一性障害は「心の性」と「身体の性」の不一致を証明しなくてはならないため、「性自認は男性であり、『身体は女性である』こと」を確認する必要があるというのだ。
女性であることを否定するための診断に、女性であることの証明が必要だなんて、なんと皮肉な話だろうか。
息子は心が男性なので、ひとりでは産婦人科に入りにくいということで、私も同伴した。
そして、産婦人科の診察と染色体検査によって、息子の身体は間違いなく女性であるということが証明された。
そんなことは知っている!と言いたかった。
性分化疾患を見抜くための大切な検査であることは理解したが、私たちはこの当たり前の事実に触れぬよう、傷つけぬよう、そっとこれまでやってきたというのに、息子にその事実を突きつけるこの診察が、私には悔しかった。
でも、息子は私の心配をよそに飄々としていた。
息子はもうそんなことに拘ってはなかった。
次のステップに思いを馳せていたのだ。
こんな屈辱的な診察も、男性ホルモン投与のための踏み台と思えば、容易いことに違いなかった。
息子には、もう男性になるための覚悟がしっかりできていた。
私にできることといえば「お疲れ様」と息子の肩に手を置くことぐらいだった。
ーそして半年後、「性同一性障害」の診断が下りた。
この診断によって、息子は性同一性障害であることが医学的に認められた。
この診断書は息子の選択が間違っていなかったことを証明していた。
診断書はたった一枚の紙きれだが、これからの息子の人生を支えてくれる重みある一枚だと感じた。
まもなくして、18歳になった息子は、ジェンダー協議会の適応判定会議にかけられ、ようやくホルモン治療が許可された。
それから息子は二週間に一度通院し、男性ホルモンを注射した。
回数を重ねるごとに息子の声はみるみる低くなっていった。(現在はテノールよりも低いバスの音域の声で話すようになっている。父親に似て、とにかく低い。)
髭が生え始め、電気シェーバーを使って髭を剃るようになった。脚の毛も眉毛も濃くなった。
プロテインを飲み、筋トレをし、身体づくりにも励んだ。
そして、すっかりお洒落男子になった息子は、行きつけの美容室のスタイリストさんとも仲良くなり、毎回念入りにヘアスタイルの打合せをしているようだ。
ショッピングモールに出掛けては、服やら帽子やら靴やら、ウインドーショッピングを楽しんでいる。
鏡の前ではいつも髪のセットに余念がない。
入浴後には化粧水をつけるようになった。
シャンプーやヘアワックスにもこだわっている。
かつて女子だった頃、お洒落のおの字も見られなかったあの頃の時間を取り戻すかのように、息子は親が呆れるほどお洒落に意識高い系男子になっていた。
〈詳しくは『子育てで感じた違和感【第三章】⑤』〉
息子に聞けば、かつて女子だった頃は自分自身を受け入れることができず、とてもじゃないけれど自分を着飾る気持ちになどなれなかったのだそうだ。
でも、男子として生きている現在は、自分の容姿と向き合って、磨きをかけることが楽しくなった。
自分自身を大切にする気持ちが生まれたのだ。
もう自分で自分を否定し続けていたあの頃の息子ではない。〈詳しくは 『苦しみの泉 【第六章】』〉
自分の望む性を手に入れて、しっかりと顔を上げ、前を向くことができたのだ。
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